紀元前1500年頃、ヒンドゥークシュ山脈を越えて、インド西北部に進入して来たアーリヤ人は、先住民族を征服し、支配下においた。
自分たちアーリヤ人と先住民族を差別するために、四姓制度と言う階級制度を設けた。
バラモン教の法典では、四つの種姓階級に分けている。
・バラモン → 司祭
・クシャトリヤ → 王侯・武士
・ヴァイシャ → 一般庶民
・シュードラ → 奴隷
この四つの階級制度が、その後、約3500年にも及び、現代に至っては何と3000階級もあるといわれる。
カーストごとに、さまざまな規則があると伝わる。
カースト内でのもめ事などはその中で処理された。
結婚も同じカースト内に限られ、上位の女性と下位の男性との結婚は非常に嫌われるという。
こうした結婚式等、人生の折り目、節目になる儀式や、共同作業が必要となる時も同じカースト内の人々で助け合う。
今日、カーストによる差別は禁止されているため、都市部における差別は目立たなくなっている。
しかし、姓を知るだけで所属するカーストが分かるので、下位のカーストの人々は、今でも自分の姓を名乗りたがらないという。
ブッダ誕生前の紀元前400年から500年頃、ネパールからインド北部にかけて、16の大国が生まれ、お互いに攻めぎあっていた。
中でも、アヴァンティ、ヴァンサ、コーサラ、マガタの四大国家が軍事力を高め周辺の小さな国を併合しつつあった。そのため、小さな国の多くは常に滅亡の危機に立っており、釈迦族もその小国家の一つであった。
インド北部に接するネパール領ターライ盆地に釈迦族の国があった。
東西80キロ、南北60キロという千葉県ほどの小さな国であった。
その首都にカピラヴァットゥ(カピラ城)があり、国王一族が住んでいた。
国王の姓は「ゴータマ」、名を「スッドーダナ」と言った。
ゴータマとは優れた牛と言う意味であり、インドでは牛を神の使いと信じられている。
釈迦族の土地は、湿地が多く稲作に適しているため、年に3回も稲を収穫している。そのため、釈迦族は小さな国ながら豊かな王国を築いていた。
ブッダの父スッドーダナは「浄飯王(じょうぼんのう)」として経典に出てくる。
浄飯王とは「清らかな白い御飯をもつもの」という意味である。
国王の妃の名前はマハーマーヤーといい、経典の中では摩耶夫人(まやぶにん)と呼ばれている。
釈迦族の民衆は、心やさしい国王スッドーダナに感謝の眼差しを捧げ稲作に励む毎日を送っていた。
そんな明るい日々を送る民衆を見て、スッドーダナは顔をほころばすものの、マーヤー夫人と結婚して、長く子供に恵まれぬため世継ぎのないことに悩んでいた。