

伝説によれば、マーヤー夫人が35歳の時であった。
ある満月の夜、マーヤー夫人は白い象が天から下りて身体に入る不思議な夢をご覧になった。
夢は王子誕生の予告であった。
サーンチーの東の塔門には、白い象がマーヤー夫人の身体に入ろうとする場面が描かれている。
月日が過ぎた。
出産は妻の生家で行うというインドの習慣から、臨月が近づいたマーヤー夫人は、ヒマラヤの麓、コーリヤ国の王宮に帰られる事になった。
マーヤー夫人はコーリヤ国の王女であり、後にブッダの妃となられるヤソーダラー妃も、コーリヤ国の王女であったと伝えられている。
コーリヤ国は現在ネパール領となっているが、当時、釈迦国とは双方から嫁の行き来がある等、古くから深い姻戚関係にあった。
ネパールの首都カトマンズから西へ約200キロ、インド国境からは僅か3キロの所に、ブッダの誕生されたルンビニー園がある。
仏教徒にとってこのルンビニーの地が、いかに神聖な場所であるかは言うまでもない。
かつて、一面のジャングルであったというルンビニー園は、現在、ブッダの母、マーヤー夫人を讃えるマーヤー夫人堂(旧堂)を中心に手入れの行き届いた美しい公園となっている。
およそ2500年前の4月8日、この日、生きとし生ける万物にとって、まさに黎明の時を迎えた。
ルンビニー園の夜明けである。
日の出とともに、心安らぐたえなる音楽が何処からか流れ来る。
華麗な蓮の花が咲き乱れ、鳥が歌い、蝶が舞う。
森羅万象全てのものが明るい讃嘆の歌声に包まれた。
生家に帰る途中のマーヤー夫人は、休憩のため花香るルンビニー園に立ち寄られた。
ブッダ誕生については、多くの神話的な伝説とともに語り継がれている。
ルンビニー園に到着したマーヤー夫人は沐浴された。
その後、20歩ほど歩まれ、花が満開の無憂樹に右手をかけられた時、夫人の右脇より、黄金のように輝く、
えもいわれぬ美しい王子が誕生されたという。
後に、ブッダとなられる王子の誕生である。
取材地 東インド ブッダガヤ
蓮華台
国王スッドーダナ の喜びは、たとえようもなく、「目的を達成した人」と意味する「シッダッタ」という名前を王子に与えられた。
「ゴーダマ・シッダッタ(シッダールタ)」は、その後、「お釈迦さま」「釈尊」「ブッダ」とも呼ばれた。
お釈迦さまとは、釈迦族の出身である事から呼ばれた名前である。
釈尊とは「釈迦牟尼世尊」から、ブッダとは「目覚めた人」「悟った人」を呼ぶ。
マーヤー夫人堂には、ブッダがマーヤー夫人の右脇からお生まれになる浮き彫りがある。
しかし、その表面はアショーカ王
亡き後イスラーム教徒によって、無残にも削り取られてしまった。
仏教徒がこの浮き彫りを見た時、まさに、身を削られる思いであろう。
ゴータマ・シッダッタは生まれた直後、7歩あるき、右手を上げて天を指し、左手を地に向け、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」「天にも地にもただ私だけが尊きものである」と、宣言されたと伝えられている。
マーヤー夫人堂の北側に、今日、原型をとどめてはいないが、アショーカ王の手によって建てられた石柱がある。
アショカピラーと呼ばれる石柱には、ブラーフミー文字で、この地はブッダ誕生の地であり、ルンミニ村はその功徳によって租税を免除すると記されている。
1896年にドイツの考古学者によって、この地が発掘されるまで、ブッダはその存在さえ歴史上の人物としては認められていなかった。
石柱の発掘に続き、奉献ストゥーパ 、ブッダのものと思われる遺骨の入った黄金の舎利容器も発見された。
紀元前の文献に度々見られるルンビニーが、この地である事が奇跡的に証明されたのであった。
ブッダの80年の生涯は、この時、この地より大いなる一歩を歩みはじめた。
次章は、「生老病死」の悩みを解決するには、王子の地位も両親も、その上、妻子をも全て捨て、出家する以外の道はなかった。
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